元バレーボール日本代表の迫田さおりさん。高い位置から放たれる迫力あるバックアタックは選手時代の代名詞です。
2017年に惜しまれながら現役を引退しました。
今回は、迫田さおりさんの出身高校や出身中学・実業団時代などの経歴について。
また、現在の活動についてもご紹介しますので、よかったら最後までご覧ください!
迫田さおりの出身高校はどこ?
迫田さおりさんの出身高校は鹿児島県立鹿児島西高校。高校時代はアタッカーとして活躍しました。
中学3年次には多くの高校から声がかかりましたが、進学先に選んだのは鹿児島西高校。
鹿児島西高校を選んだ理由は、優勝を目指す高校ではなく楽しくバレーをしたかったから。
バレー中心の高校生活を送るのは嫌だったそうで、部活後にみんなでコンビニに立ち寄るのが楽しかったそうです。
確かに部活の後に仲間と食べるご褒美おやつは格別に美味しく感じました♪
また、お姉さんがお同じ高校に進学していた影響も大きかったのかもしれませんね。
鹿児島西高校はバレーの強豪校ではありませんが、迫田さんは高校時代に国体の鹿児島県選抜選手に何度も選ばれるなど実力のある選手として有名だったそうです。
迫田さおりの経歴について
ここからは迫田さおりさんの経歴についてご紹介します。迫田さんは鹿児島県鹿児島市出身の36歳。
1987年12月に4人兄弟の2番目として誕生。お姉さんは2歳年上で下に弟さんが2人います。
バレーボールを始めたきっかけはスポーツ少年団でプレーをしていたお姉さんの影響があったから。
小さい頃からお姉さんが所属するスポーツ少年団の練習を見に行っていた迫田さんは小学3年生のときにお姉さんと同じスポーツ少年団に入団します。ポジションはお姉さんと同じアタッカー。
小学校卒業後はお姉さんと同じ中学へ進学しバレー部に入部しました。
ちなみに高校もお姉さんと同じ高校へ進学します。年齢は2歳差なので中学でも高校でも1年間一緒の部活に所属していたことになります。
私も小さい頃スポーツ少年団に所属していましたが、同じ部に姉がいるのが嫌でした。仲は良かったのですが、何だか恥ずかしかったのを覚えています…。
そう考えると迫田さんとお姉さんは仲の良い姉妹だったのが分かりますね!
鹿児島市立谷山中学校
迫田さおりさんが進学した鹿児島市立谷山中学校はバレーの強豪校として有名です。当時は練習も厳しかったそうですが、エースとして大活躍。
もしかしたら迫田さんがバレー中心の高校生活を送るのを避けた理由は、中学時代の厳しい練習の反動だったのかもしれませんね。
東レアローズ時代
高校卒業後は一般企業に就職しようと考えていた迫田さんですが、バレーの名門チーム・東レアローズからスカウトを受け入団。
東レアローズに入団したのも普通に就職した感覚でいたそうです。
入団後はワールドグランプリや世界選手権の日本代表選手としても活躍します。
- 2010年8月 バレーボール・ワールドグランプリ
- 2010年10・11月 バレーボール世界選手権
- 2011年8月 バレーボール・ワールドグランプリ(11試合スタメン)
- 2012年5月 ロンドンオリンピックバレーボール世界最終予選(チーム最多得点)
- 2012年8月 ロンドンオリンピック(3位決定戦23得点)
- 2016年8月 リオデジャネイロオリンピック
多くの大きな大会で活躍しましたが、2017年5月30日に東レアローズを退団。惜しまれながら現役を引退しました。
退団発表を聞いたときは迫田さんの気持ちいいくらいに決まるスパイクが見られなくなると思うと寂しく感じたのを覚えています。
迫田さおりの現在の活動について
迫田さおりさんは現在バレーボール大会の解説をしたり、テレビ出演やコラムの執筆をしたりとバレーを始めとするスポーツの魅力を発信しています。
また、YouTubeチャンネルも開設しており、最新の迫田さんの姿をみることができるのがファンの方にとっては嬉しい限りです。
YouTubeではバレーボールの話だけでなく地元・鹿児島の話やプライベートの話もしてくれてますよ。
バレー関係者とも一緒に出演する回もあるので気になる方はぜひチェックしてみてくださいね!
最後まで読んでくださりありがとうございました!